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2024年度入学式 学長式辞
芸術文化観光専門職大学第四期生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
教職員、在校生一同、皆さんを心より歓迎いたします。
本学は、二○二一年に開学し、今年で四年目を迎えます。皆さんの入学によって、この大学は名実ともに大学としての形が整ったことになります。
これからの四年間、自然豊かなこの但馬の地で、心ゆくまで自分の学びを追求し、友と遊び、語り合い、美味しい食べ物をたくさん食べ、そして、大いに悩みながら自分の未来を選び取ってください。
また今年の式典は、海外からの留学生が列席する初めての入学式となりました。留学生の皆さん、ようこそ芸術文化観光専門職大学へ。台湾、韓国、ドイツの皆さんと今日の日を祝えることを喜びに思います。
なお、今日の午前中に台湾で大きな地震が発生しました。留学生のご家族の安否確認を進めるなどしているところです。本学は台湾の三つの大学と提携を結んでおり、研修受け入れ先としても密接な関係にあります。関係者の被害が最小限であることをお祈りしたいと思います。
今年は元旦に北陸地方でも大きな震災がありました。来年は阪神淡路大震災から三十年、但馬を襲った北但大震災から百年の節目の年となります。兵庫県立の大学として、日頃から防災の意識を高め、また記念事業などに積極的に関わって行く所存です。
さて、ここにいるほとんどの学生にとっては、初めての一人暮らしが始まります。ご家族の皆様におかれましては、まだまだご心配のことも多いかと存じます。しかしながら現在、大学入学者は全員が新成人となります。選挙権を持ち、一定の社会的責任を負う存在です。私たち教職員は学生一人ひとりの人格と人権を尊重し、一方で、新しい生活と学びのサポートを全力で行ってまいります。
また、開学四年目を迎えます本学について、日頃より多大なるご支援、ご協力をいただいております斎藤元彦兵庫県知事、國井総一郎兵庫県公立大学法人理事長、内藤兵衛県議会議長はじめ県議会の皆様、兄弟校である兵庫県立大学の皆様、周辺自治体の市長、町長様、議員の皆様、そしてなにより但馬の地域のすべての住民の皆様に、あらためて心から感謝申し上げます。ここまでのご支援、ありがとうございました。
皆さんは、観光と芸術について、大学でそれを学ぶという選択をしました。
就職や専門学校への進学ではなく、なぜ皆さんは大学への進学を選んだのでしょう。
今日はこのことを少し深く考えてみたいと思います。
これから皆さんは、学問、科学探究の道に入ります。もちろんいまは高校でも探究型の学習が盛んですが、しかし大学での学問と、これまでの教育、学習はやはり大きな隔たりがあるだろうと私は考えます。
何が違うのか?
おそらく多くの学生は、まずこの一年間で、言葉の多義性というものを強く経験するでしょう。ひとつの言葉を巡っても、多様な解釈、多様な受け止め方があるということを痛感するはずです。本学には日本全国から、バックグラウンドの違う学生が集まっていますし、寮では海外からの留学生も一つの部屋で暮らします。生活や授業を通じて、皆さんは、これまでの価値観が大きく揺さぶられる経験をすることでしょう。
漢字の書き順や九九に始まって、定められた言葉や数式や年号を全国一律で一つ一つ習い、覚えていく高校までの「学習」と違って、これからはひとつの言葉、ひとつの知識についての多面的な解釈を自ら見つけていくことになります。
言語学者の丸山圭三郎先生は『言葉と無意識』(講談社現代新書)という著作の中で、言葉について以下のように述べています。
「私たちが実生活を送るためには、確かに一義的な交通信号や正確な報道写真の類いを必要としているが、それとともに、同一のものが多様に見えるイメージを描くダリや、パイプでないパイプを描くマグリット、生き物のように息づく建物を作るガウディらが生命の糧となっていることも忘れてはなるまい」
「演劇や音楽、絵画、彫刻もまたひとつの言葉なのである」
皆さんはこれから、言葉の多義性という渦のなかで翻弄されます。ぜひ、まず、この言葉の海を泳ぎ切ってください。
私は冒頭、「大いに遊び、語り、また悩んでください」と申し上げました。本学のクレド、これは組織全体の志や行動指針を示したものですが、この中には、「さまざまな矛盾と向き合い、ゆっくり悩む時間を大切にしよう」という一項目を作っています。わざわざ悩むことを推奨するというのは、とても珍しい少し不思議な大学ですね。
では皆さんは、いったい何に悩むのでしょう。それはもちろん、進路や人間関係、恋愛、ダイエット、今日大学に着ていく服装、髪型、単位の修得具合に悩む学生もいるでしょう。
しかし、それを学問的な言葉で語るなら、「ロゴズ」と「パトス」の間で悩むと言えるかもしれません。「ロゴス」とは理性あるいは言語、論理のことを指します。「パトス」とは情念、感情のことです。
先の丸山先生の著作の冒頭で、この乖離を、日本映画の名作シリーズ『男はつらいよ』の主人公車寅次郎、寅さんの台詞を借りて、先生は以下のように説明しています。
「頭じゃわかっているんだが、気持ちが俺をひょんな方向へと駆り立てていっちゃうのよ」
もちろん、皆さんの中には『男はつらいよ』を観ていないという方も多いでしょう。ぜひ、機会があったら観てくださいね。
寅さんではなくても、たとえばSEKAI NO OWARIの『すべてが壊れた夜に』という歌の中にも以下のような歌詞があります。
人々は言う 分かっていると
そんな当たり前な事は知ってると
でも知ってる事を
分かっているならそんな顔しないよね
ここでは知っている=ロゴスと、分かっている=パトスの乖離が書かれています。
皆さんはこれまで、知識や情報は、人々の生活を便利にし、課題を解決するためにあり、学校とはそれを学ぶところだと考えてきたかもしれません。
しかし大学で学ぶ知性は、あるときには皆さんを追い詰め、戸惑わせ、迷わせるものになるかもしれません。
新しい知識を得れば得るほど、皆さんはその複雑性にたじろぎ「頭じゃわかっているけれど、気持ちは別の方向に向かってしまう」という葛藤を経験するでしょう。その矛盾と混沌の中から、大学で得るべき総合的な知性を身につけて欲しいのです。
大学での学び、いわゆる諸科学は、便宜上、自然科学、社会科学、人文学に大別されます。
自然科学には再現性が要求されます。ある法則や原理の仮説は、誰が実験を行っても同じ結果になることによって、その正しさが証明されます。
社会科学は統計などを使って、多少の例外はあるけれど社会や人間はこのように動いていきますよという法則性を発見します。一方で人文学は、きわめて一回性の強い出来事を扱います。
たとえば昨日、一昨日、早起きをした方は円山川沿いに朝霧を目撃したでしょう。但馬では、朝来市の天空の城竹田城に象徴されるように秋の霧が有名ですが、春先のこの季節にも朝霧が出ますし、夕暮れ時に春霞と呼ばれる現象を見せることもあります。盆地は、一日の寒暖の差が激しく、そのため周囲の山々から冷気が降りて来て、それが急速に温められ、大気中の水蒸気が飽和に達し水滴となって霧が発生します。また夕暮れ時の春霞には、黄砂や花粉など他の様々な要因もあるようです。これが霧の発生についての自然科学的な説明です。
但馬盆地特有の寒暖差は、農作物、特にブドウなど果実の糖度に強い影響を与えると言われます。日本の果物はいま、海外でも人気がありますから、これからは観光のアイテムとしても成長していくでしょう。一方で、この霧がコウノトリ但馬空港にかかると飛行機がよく欠航し観光産業にも少なからず打撃を与えます。これらが霧に関する社会科学的な考察です。
しかし私はやはり春霞といえば次の一首を思い浮かべます。
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも
季節は春になり、夕暮れの光の中にウグイスが鳴いているというのに、私の心はなぜか寂しい。
春という季節が抱える矛盾、なぜ私たちは山の端にかかる朝霧や田畑をぼんやりと包む春霞を美しいと思うのか、その複雑で繊細な感情を、大伴家持という千三百年前の孤高の歌人が見事に言葉にしてくれているのです。ここに人文学の役割があります。
ロゴスとパトスという抽象概念を説明するのに、なぜ寅さんの台詞やセカオワの歌詞の方が説得力を持ち共感が広がるのか。ここに文学や芸術の価値があります。
大学ではぜひ、自然科学的な客観性と、社会科学的な分析力と、そして人文学的な表現力、共感力を身につけていってください。
私たちが暮らす現実の世界は、ますます混沌を増しています。ロシア軍のウクライナ侵攻に続いて、パレスチナでもいつ終わるともしれない紛争が始まってしまいました。気候変動、自然災害も深刻です。
残念ながら、観光や芸術では戦争を止めることは出来ません。
しかし私たちは希望を捨ててはならない。
いつの日か、あさご芸術の森や城崎国際アートセンターで、ロシアのアーティストとウクライナのアーティストがともに作品を創る日を夢見ましょう。
イスラエルの民とパレスチナの民が、神鍋やハチ北高原でともにスキーを楽しむ日を信じましょう。
城崎温泉や湯村温泉で、戦いに疲れた兵士やその家族が心の傷を癒やす日を思い浮かべましょう。
香住や浜坂の蟹料理をすべての国の人々が楽しめる世界を創りましょう。
軍事力や経済制裁以外に、国家が行使できる力をソフトパワーと呼びます。観光と芸術は日本にとっての最大、最良のソフトパワーです。
地域を笑顔に、世界を平和にするために、皆さんは観光と芸術を学びます。
あらためて、入学おめでとうございます。
十年前、この但馬の地に四年制大学が出来るとは誰も思っていませんでした。そこから一歩ずつ、多くの方の献身的な努力の集積で本学は誕生しました。巨大なジグソーパズルの一つ一つのピースが少しずつ揃い、皆さん一人ひとりが、一つ一つ形の違う最後のピースとしてここに集い、今日、大きな壁画が完成しました。
ここにいる新しい友と、先輩と呼ばれることさえ気恥ずかしい一期生、二期生、三期生たちと、すべての教職員と、地域の皆さんと、まだ見ぬ世界中の友人たちと、未来を信じ新しい大学を創っていきましょう。
皆さんを心から歓迎します。
令和六年四月三日
芸術文化観光専門職大学 学長
平田オリザ