授業風景
「地域創生実習(但馬県民局)」の様子を紹介します
地域創生実習では、対象自治体に出向き、地域創生についての取組の視察や、専門家や教員の指導を受けつつ、活動への関与を通じて、地域の持つ課題や課題に対応する地域創生の現実的な取組について学んでいます。
今回は、但馬県民局の地域政策室での実習の様子を紹介します。
実習テーマは、「鉱石の道において地域外からの誘客を目指したアイデア創出」です。
朝来市の生野銀山と神子畑(みこばた)鉱山、そして養父市の明延(あけのべ)鉱山の3つの鉱山エリアは「鉱石の道」と命名されており、経済産業省の近代化産業遺産群に認定されています。事前調査や現地での視察、関係者へのインタビュー等を通して、鉱石の道について学修し、最終日には実習テーマについて発表を行います。
あけのべ自然学校の前で
この日は養父市の明延に出向き、明延鉱山(HP⇒明延鉱山/養父市 (city.yabu.hyogo.jp))や街並みの見学、そして最後には明延区の区長さんから直接お話を伺う機会がありました。当日、大学のある豊岡では雪がちらつく程度でしたが、集合場所のあけのべ自然学校に近づくにつれ吹雪となりました。到着後、ヘルメットをしっかりと装着して、まずは明延鉱山へと向かいました。
明延鉱山の入口へ
明延鉱山は、飛鳥時代にはすでに開山されていたと伝えられており、奈良の東大寺の大仏鋳造にも明延鉱山の銅が使用されていたそうです。以降、豊臣秀吉などその時々の権力者に支配され、江戸幕府の直轄地、明治政府の官営化と続きます。明治29年に三菱に払い下げられる中で、明治42年に錫(すず)鉱脈が発見されると「日本一の錫の鉱山」として栄え、新技術を導入した地質調査や、経営の近代化が促進されたそうです。
坑道総延長は約550kmで、これは大阪から東京間に匹敵し、また坑道の深さは約1,000mでスカイツリーの約1.6倍だそうです。
坑道の中で一番の見どころ、巨大鉱脈跡
大型重機の前で説明を聞く学生達
坑道内の特性を活かして日本酒が熟成されている酒蔵の前で
明延区の区長を務めておられる小林さんが自ら明延鉱山のなかを案内してくださいました。
外は大雪の極寒でしたが、坑道内は年間を通して12度前後に保たれているため、鉱山の中の方が暖かく感じました。実際に使っていた機械を前に当時の作業の様子を説明してくださったり、坑道内にある酒蔵等も見せていただきました。学生4人も事前学修で学んだことを踏まえて色々と質問をしていました。
一円電車ひろばにて
一番大きな客車「くろがね号」のなかで
鉱山を見学した後は、一円電車のある広場へ行きました。一円電車とは明延鉱山から神子畑選鉱場まで、鉱石を運ぶために約6キロの軌道を走っていた鉱山鉄道です。鉱石運搬の合間に、従業員や町の人の足となって走っていた客車の乗車賃が1円だったので一円電車という愛称で親しまれ、昭和60年まで運行していたそうです。
その後、閉山から23年、地元住民を含む有志が手作りで線路を敷き、一円電車を復活させました。
その後、あけのべ自然学校に戻り、改めて区長の小林さんから色々とお話を伺いました。
まだ明延が賑やかだった頃のお話や、閉山後の明延の様子、そして現在の様子など、明延の歴史を自分の目で見て感じてきた小林さんのお話に学生達も真剣に耳を傾けていました。
特に、最盛期の明延鉱山に招かれた歌手の島倉千代子さんを、閉山後、再び明延の地に呼びたいと住民たちが動き、色々な縁が重なった結果、51年ぶりにあけのべ自然学校でコンサートを開いてくださったというお話はとても印象的でした。
小林さんの話を真剣に聞く学生達
明延区が直面している課題に関してのお話もありました。人口減少が進んでいること、観光客のための宿泊施設が少ないこと、平日開いている飲食店がないために観光客の平均滞在時間が短いことなどを教えて頂きました。
また、人口減少で手入れされなくなった公園や神社の参道をマウンテンバイク用のコースに整備したり、SNSを利用した広報活動など様々な取組みについてもお話していただきました。
小林さんの明延に対する想いを受けて、学生たちはこれから明延を含む鉱石の道を地域外の人にどうアピールするかを考え、実習最終日の発表に向けて準備を進める予定です。