授業風景
集中講義「言語表現論」の授業を紹介します
本日紹介するのは集中講義『言語表現論』です。今回は、本学客員教授(神戸女学院大学名誉教授)の内田樹さんに3日間講義をしていただきました。
本講義では、言語とは何か・表現とは何かについて、実際にいろいろな文章を素材にして、できるだけ根源的に考えます。到達目標は「自分のvoiceを見出すこと」。授業を聴いただけで「はい、見つけました」というような簡単な話にはならないようですが、それを目標とし、授業が進められていました。
「自分のvoice」は 何かというと、一言では表せません。授業内では、以下のような説明がされました。
・いちばん自由に声が出せるような、声の出し方。(声が小さくなるなど)
・生まれてから一度も語ったことが無いことを語ることができるようなこと。
・「自分らしい言葉づかい」とは違い、自分の言語活動を限定しないもの。
・言い淀み、言い換え、前言撤回、余白、余韻。
その他にも、ある映画や、教員の経験等、多岐にわたって「自分のvoice」について解説がありました。その例の1つとして、太宰治の『如是我聞』から次の文面が挙げられていました。
『文学において、最も大事なものは心づくしというものである。心づくしといっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし「親切」といってしまえば、身もふたもない。心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言ってもまだぴったりしない。つまり「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、あるいは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。』
この言い淀んだり、前言撤回したり、言い換えたりしている言語活動が、「自分のvoice」といえるそうです。この太宰治のように「自分のvoice」を持っている人は、ものの説明が上手い・解像度が高い、ということも言われていました。
また、「自分のvoice」について、次に挙げる引用も紹介されました。
『……だから、「読んだ感想」なんか書かせる以前に、「あなたの読んだ本がどういうものだったかを人に紹介するための”あらすじ”を書きなさい」にした方が、「読む能力」を高めることになるのではないかと思う。「自分の感想」より先に、「あなたの体験したものがどんなものだったかを説明しなさい」の方が、有益ではなかろうかと思う。
「同じ本のあらすじを書かせたら、みんな似たりよったりになる」と思われるかも知れないが、「その人がこれをどう読んだか」というものは、内容を要約する「あらすじ」に表れる。人によって読み取り方は、微妙に違うからだ。人が「アクション映画だ」と言うのを見て、「喜劇じゃないか!」と思ったことさえある。』(『橋本治という考え方』、2009年)
毎日、授業の終わりには「自分のvoice」と向き合う課題が出されました。
1日目は『私がこれまで食べた最もまずいもの』、2日目は『噓みたいな本当の話』、3日目は『「すみません。それ、私のです」から始まるシナリオ』。
課題に対するフィードバックや質疑応答の時間もあり、学生は、より「自分のvoice」について考えを深めたようでした。