イベントお知らせ
学位記授与式を挙行しました
2025年3月21日、学位記授与式を執り行いました。
平田オリザ学長は「卒業おめでとう
まだ小さな君たちの大きな未来に幸あれ。」と祝辞を述べました
- (祝辞全文はこちら)
告別
宮沢賢治
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさはほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく
天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころこの国にある皮革の鼓器と竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれはすこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
これだけで終わりにした方が,格好いいかとも思ったのですが、さすがにそうもいかないので少しだけ大学の学長らしい話もさせてください。
あらためて、
芸術文化観光専門職大学,栄えある第一期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
本日、初めての卒業生を社会に送り出せることに、教職員一同、大きな誇りを感じます。
ここにいる一期生の皆さんは、まだ何の形もなかった本学に,強い決意を持って受験し入学してきました。皆さんの入試は兵庫県の但馬県民局や神戸の県立大学を間借りして行いました。今となっては、それらも懐かしい思い出ですが、当時の皆さんは不安でいっぱいだったろうと思います。まず、この未知の環境に飛び込んできてくれた、その皆さんの勇気に敬意を表したいと思います。
この大学を選んでくれて、本当にありがとう。
ご家族の皆様におかれましては、ここまで学生たちを陰日向に支えていただき感謝申し上げます。ありがとうございました。卒業生たちの輝く笑顔をご覧いただき,感慨もひとしおかと存じます。
また、日頃より本学に多大なるご支援、ご協力をいただいております斎藤元彦兵庫県知事、國井総一郎兵庫県公立大学法人理事長、
県議会副議長はじめ県議会の皆様、兄弟校である兵庫県立大学の皆様、周辺自治体の市長、町長様、そしてなにより,ここまで学生たちを温かく見守ってくださった但馬の地域のすべての住民の皆様に、あらためて心から感謝申し上げます。ここまでのご支援、ありがとうございました。
皆さんは、もうすでに、私を大学の研究者としては認識していないかもしれませんが、こうして皆さんを前に話をするのも今日が最後ですから、少しだけ学者らしい話もさせてください。
私たちは,皆さんとともに芸術文化観光学という新しい学問の創造に取り組んできました。この新領域の確立は道半ばですが、私なりに、皆さんと一緒に学んだことを、ここで整理しておきたいと思います。
フランス現代思想を代表する哲学者ジャン・ボードリヤールが提唱する概念に「浪費」と「消費」というものがあります。
フランスの現代思想は、普段、私たちが使っている言葉遣いとは全く別の,少しひねくれた物言いをするので注意が必要なのですが、ここで言う「浪費」は人生を豊かにするための贅沢、推奨されるものだと受け止めてください。これは精神的な贅沢ですから富裕層、余裕のある人だけが享受できるものとも限りません。
一方で「消費」は,ものやサービスを記号として捉えて消費に走ること。簡単に言えば「みんなが買ってるから買おう、世間で流行っているから買いたい」というものです。とりあえず、浪費は主体的に行うもの。消費は受動的に「消費させられるもの」と捉えてもらってもいいでしょう。
皆さんは観光学関連の授業の早い段階で、プッシュ型観光とプル型観光という概念を勉強したかと思います。プッシュ型とは従来からあった旅行代理店など観光事業者の側からパッケージで情報発信を行うもの。プル型観光とは、個別の観光地や旅館などが情報発信を行い、それを旅行者が主体的に選択していくものです。先のボードリヤールの定義に習えば、プッシュ型は消費させられるもの、行かされる旅行。プル型は浪費、個々人の主体性によって組み立てていく観光といってもいいでしょう。ただ観光の現実は複雑で,このような簡単な二項対立だけで整理できるものではないことも皆さんは学んできたかと思います。
ともかくも、日本の観光業が持続可能な発展を遂げるためには、消費から浪費へ、受動的な消費型の観光から、個人の能動的、主体的な観光へとその形態を変えていく必要があることは間違いありません。そのときに、芸術文化観光という、極めて個人の主体性と関わる観光ジャンルは、大きな発展の要素があるだろうと私は考えます。これが私が考える芸術文化観光学の出発点です。
オーバーツーリズム対策は、これから様々に行われるでしょうが、個別の施策とは別にその背景には,こういった確固たる思想・哲学がなければならない。本学が提唱する芸術文化観光学は、そのような基本理念を元に進んでいかなけれればなりません。
大学は社会の事象について深く思索し、本質を追い求める場所です。皆さんは、その訓練をこの四年間で積んできました。
しかしながら、これから社会に出る皆さんは、すぐに他の大きな壁にぶつかることでしょう。観光業界に就職する皆さんにとっては、プッシュ型の観光はまだまだ収益の中核をなしています。企業は企業である以上、利潤の追求を目指さなければならず、短期的な利潤をあげるためにはプッシュ型観光は欠かせない要素です。
こうして皆さんは、理想と現実、理論と実践の矛盾を前に呆然とするでしょう。
アート系の道を歩む方々は、なおさらです。理想と現実、自分のやりたい表現と生活の両立の難しさは、すでに実感しているところかと思います。アートマネジメント系の学生で公共ホールに勤めるようになれば、アーティストと行政という思考方法からして大きく異なる人々の板挟みに遭うことは皆さんにも想像ができるでしょう。
しかし、恐れることはありません。もし本学が皆さんに教えられたなにがしかのことがあったとすれば、それは数々の理論や知識や情報ではなく、まずこの矛盾や混沌を受け止め、論点を整理し、そして打開策を粘り強く見つけ出す力だったと思います。もうすでに皆さんは、それだけの力を持っています。社会の矛盾を前にたじろぐ必要はない。堂々とそれに立ち向かっていってほしいと願います。宮沢賢治が言うように、
もしもおまへがそれらの音の特性や立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく
天の仕事もするだらう
輝く天の仕事を目指してください。
さて、ここまで学長として、そして研究者としての話をしてきました。最後に一人の劇作家として皆さんにお願いがあります。
そうはいってもという話です。
そうはいっても、社会は矛盾に満ち、二項対立は常に存在します。多様性、相対化、脱構築と言葉で言うのは簡単ですが、現実の生活ではどちらかを選ばなければならないことは常にあります。白黒つけるように意見の表明を求められる場も多々あるでしょう。
そのときは、どうしても自らが選択をしなければならないときには、どうか、弱き者、小さき者の側に立ってください。もちろん現代社会は複雑ですから、どちらが弱く、どちらが強いか判断に迷うときもあるでしょう。しかしそこは、自らの良心に従ってやはり弱き側、小さき者の側に立ってほしいのです。
もしかするとその判断は,あなた方の人生を、ひととき、昏くするかもしれない。皆さんを孤立に追い込むかもしれない。しかし勇気を持って、小さき者の側についてほしいのです。
なぜと問われても答えはありません。芸術とはそもそもそういうものだからです。芸術とはそもそも,小さき者たちのためにあるからです。そして私たちもまた小さき者だからです。
皆さんは、そのために本学で芸術を学んだ。
どうか、自分の痛みにではなく、弱き者の痛みや、歴史の傷みに涙する人になってください。ミサイルのボタンを押す側ではなく、がれきの中に立ち尽くす幼子の側に寄り添ってください。それだけが、作家としての私の皆さんへの願いです。
有島武郎の『小さき者へ』という小説を読んだことがありますか? この作品は有島が妻を失い、自分の子供たち、すなわち幼くして母を失った子供たちに向けて書いた小説です。この小説の最後は,このように結ばれています。
小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ。
行け、勇んで。小さき者よ。
この言葉に皆さんは何かを感じましたか?
しかし少し感動した人には申し訳ないのですが、残念なことに有島武郎はこの名作を書いた五年後に人妻との不倫の末、相手の夫からの脅迫に悩み、心中自殺を遂げます。有島は自死を選ぶ一ヶ月前に城崎温泉に逗留し、歌も残しています。
浜坂の遠き砂丘の中にして侘しき我を見出でけるかも
人間はこれほどに愚かしい。人間はこれほどにみすぼらしい。そして芸術ははかない。
だから私の話も,あまり信用はしない方がいいでしょう。
それでも私は願うのです。そして祈るのです。
行け。勇んで。小さき者よ。
何より皆さんは、四年前、まだ十八か十九歳のときに、東京や大都市圏の大きな大学への進学ではなく、この日本で最も小さな大学を選んだのです。まだ形にさえなっていない場所を,学びの場として決めたのです。多数ではなく,あなた方は少数の側を選んだのです。
何という勇気。何という情熱。
その勇気を,孤立を恐れない気高い精神を,いつまでも持ち続けていただければと願います。
卒業おめでとう
まだ小さな君たちの大きな未来に幸あれ。
令和七年三月二一日
芸術文化観光専門職大学 学長
平田オリザ
齊藤知事、國井理事長、谷井県議会副議長をはじめ、多くのご来賓にご臨席いただきました。
大学主催の学位授与式の後は、学生の卒業式運営委員会主催による「感謝の集い」を行い、卒業生がお世話になった方々を招待し感謝を述べました。