以下の文章を7月5日付けで学生に向けて発出いたしましたのでご報告いたします。
本学の教育における生成系AIの取扱いについて
近年、生成系AI(Generative AI)が注目を集めており、なかでも「Chat GPT」などの対話式AIは様々な分野においてその有効性や危険性が議論されています。これらの生成系AIは近い将来、私たちの生活に不可欠な技術として浸透していくことでしょう。しかしながら教育面においては、レポートや論文で利用されることについての懸念も出てきています。情報通信技術が高度に発達した現代社会において、こうした議論は、生成系AIに限らず今後も様々に展開されていくはずです。
新しい技術の危険性を過大に評価し全面排除するのは思考停止であり、本学のクレドにも反します。現代社会を生きる私たちは、その問題点や危険性をよく理解した上で、新しい技術に向き合い、正しい使い方を身につける、あるいはともに模索することが必要です。周囲の情報に惑わされず、その仕組みを学び、新しい使い方を開拓するといった、より積極的な姿勢も必要でしょう。
私自身、ロボットを使った演劇を2009年から制作するなど、科学技術と芸術の融合の最前線を走ってきました。東京藝術大学では、おそらく世界で初めて、ロボットを使って芸術を創造する講座も開講しました。当初はロボットを演劇に用いることにさえ批判的な意見もあったのです。そこで私は学生たちに以下のような説明をしてきました。「いまビデオアートのない現代美術館はあり得ない。これはたった三十年の変化だ。おそらく三十年後にはロボットのいない現代美術館はないという時代が来る。アーティストは、その変化を恐れてはならない」。
たとえば私の仕事の領域で言えば、いま一切検索を行わない作家がいないのと同じように、あるいはかつて辞書を一切引かないという作家がいなかったように、将来は生成系AIを一切使わない作家も存在しなくなるでしょう。そしておそらく生成系AIは、戯曲や小説の質の向上に、一定の寄与をしていくことになるでしょう。
将棋の世界で人工知能が人間に勝ったとき、もう将棋という文化は廃れていくのではないかと多くの人が危惧しました。しかし人工知能の発展が、現在の将棋界を大きく変えて進化をもたらしたことはよく知られるところです。
変化を恐れてはならない。
しかし新しい技術やツールの発展の速度に対して、社会通念や法整備、セキュリティ面での対策などが追いつかないことも多くあります。それは「身体性の欠如」と言ってもいいでしょう。私たちの脳や身体が、技術の発展に追いつかずに齟齬が起きます。
人々や社会は、新しいメディアに対しては常に懐疑的であり批判的になります。私たちの世代は「長電話をするな」と言って育てられました。いまの学生の皆さんには「長電話」という概念自体がありませんね。昔は家に一台しか電話がなかったので、子どもが電話を占有すると家族全体が困ったのです。そして昭和の親たちは必ず「いまの子たちは、何でも電話で手軽に済ませてしまう。もっときちんと手紙を書きなさい」と子どもに言ったものです。しかし皆さんは親から、「メールで済ませないで、きちんと電話で直接話しなさい」と言われたことがありませんか? 人間は自分が育ったコミュニケーションの環境こそが標準であり、それを守ろうとします。
いずれは、さらに新しいメディアやツールが登場して、「お手軽に済ませないで、もっと、きちんと生成系AIに尋ねなさい」とすべての親が嘆く時代が来るかもしれません。技術は急速に発達していきます。人間の身体や思考は、そこについていけません。その隙間を利用した犯罪が起こったり、誤った使い方によって思わぬトラブルが発生します。いや、大きな犯罪やトラブルではなくても、現行の社会的ルールやマナーなどを破ってしまうことにも留意しなければなりません。もちろん芸術は、現行のルールを破るところから始まる場合もありますが、だからといって他者を傷つけたり社会を無用の混乱に陥れたりしていいわけではありません。
変化を恐れる必要はありませんが、人間の身体性や、人類がこれまで培ってきた社会の構造に対する畏怖や畏敬の念も必要です。
話が長くなりました。
以上のような背景を踏まえた上で、本学における生成系AIの取り扱いについては、今後の国内外の動向も見守りつつ、現状では以下のような対応をとることとします。
- 生成系AIの利用については各科目ごとに取り扱いが異なります。教員が生成系AIの利用を制限する場合にはその指示に従ってください。
- 生成系AIを使用して文章作成等を行った場合、生成された文章が間違っている可能性があります。情報源となる情報を精査するとともに、信頼できる文献や資料等を参照し、適切に引用してください。
- 学外のサービスとして利用可能な生成系AIの多くは、利用者の情報をAIの精度向上のために学習データとして再利用する可能性があります。未発表の論文や、本来は秘密にすべき情報(個人情報、研究費の申請内容など)が意図せず漏えいする可能性があるため注意が必要です。
- 生成系AIによって作成された生成物(音楽やデザインなども含む)は知らない間に著作権等の権利侵害をしている場合や、自動的に生成したプログラミングコードに脆弱性が含まれることがあるため、利用に際しては特に注意が必要です。
皆さんの想像力が、生成系AIを凌駕していくことを期待します。
但馬の夏を楽しんでください。
芸術文化観光専門職大学
学長 平田オリザ